P的なブログ

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シン・エヴァを見て

この記事は3/10に書いております。

公開が3/8で見た日が3/9でした。それまでネットを極力避けてましたので。

来る日のために書き残していつか公開してみようと思います。

 

--ネタバレありますよ--

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今回のシン・エヴァンゲリオンは登場人物が出てくるたびに涙が出そうになるくらい最後なんだっていう気持ちが全面に出て、すべての流れを組んだような完璧に近い終わり方として作っているなと。理解してるかは別としてね。

これインターネットで面白い表現だなと思ったんだけど”葬式”でした。俺にとっての葬式ですよ。走馬灯のように過去の記憶と謎だった部分と今だからわかる部分、すべてがすべて許せるような、そしてもう二度と見れないという状況からくるお別れ感。

葬式なんてあんまり経験したことないんだけど、悲しい葬式というよりいろんな思いが溢れてくる葬式というか。なんだろう、そういえばここ7~8年くらい葬式なんて行ってないな。

これは自分とのエヴァとの時間や距離でこの想いは違ってくる気もしてます。あまり知らない人の葬式でも思い返すものがちがうというか。たとえあってる?

 

告別式じゃないですけど、エヴァとの思い出を語らせてください。

 

エヴァの一番最初はたぶん中学入る前くらいだったと思います。
ガンダム全盛期だったあの頃に近所に違う小学校の友達が週末だけじいちゃん家に来てたんですよ。その子がやけに都会っぽくって(いや俺が都会から田舎に引っ越してきたんだけど)、最寄りということがありよく土日は遊んだり家に行ったりなどしてました。

その時に都会ぽいなーと思ったのがエヴァとスポーン(アメコミ)でした。今ではマーベルどっぷりなのもそこが起点なのかもしれない。

そこでエヴァというアニメがあることを知り、熊本の田舎では何度目かもわかりませんが深夜2時あたりに放送されてました。確かランク王国の後かな。
その時に共通の会話として必死にくらいつき、一番衝撃だったのが幻の四号機のプラモ化です。友達はそれを入手し広いじいちゃん家でジオラマ作ったりして一緒に遊んでました。

一番最初にそれが届いたときに「え、四号機なんて出てないじゃん」って思ってた所、アニメ版で一言二言で済んでいた実態のないものがプラモになってるんですよ。これアニメ版のそこのフレーズに反応できた友達もすごいしエヴァが公式(?)にそれを作ってる遊び心みたいなのに衝撃を受けました。しかもシルバーでめっちゃかっこいい。まぁ見た目は三号機なんですけどね。

そこからエンディングの意味不明さと劇場版も追っかけましたがその友達との距離も離れ共通言語として語れる人がいずに見るだけ見る作品くらいの距離感でした。

 

そこからですよ、ご存知パチンコに来るわけですよ。その当時はまだパチスロ専門くらいの感じで、パチンコも打ったことない状態でした。パチスロで飯食わせてもらったこともありますが「常勝してます(ドヤァ」みたいな時代じゃなかったですよ。

そこからパチンコを覚えるのは当時の彼女のお父さんが無償で玉を共有してくれる謎ののシステムがあったからパチンコを打たざるを得ない状況になったからです。だって負けナシですからね。これぞプロ(ドヤァ

その時にエヴァにたどり着く訳ですがあの少年時代に見たエヴァ。ジオラマでもしもの展開で遊んでたエヴァ。それがパチンコで実現してるわけなんですよ。ましてや暴走状態だったりまだエヴァアニメすらも気軽に見れる時代じゃないときに見れたわけですよ。そこからエヴァ熱は再燃。というか周りにまたエヴァを語れる人が増えてきたことによりまた加速していきパチンコ熱も同時にあがりました。一番熱くなったのは義経物語と京楽ジョーズです。

 

そこから更におとなになりシン・エヴァの破のエンディングにワクワクして3度劇場に行きましたし、Qも意味不明で3度行きました。

そのエヴァの期待感もあり前もってQを見て「なるほどわからん」状態は変わることはなかった。しかし今回も何度見に行くかなのワクワク感があったんです。

登場してくる人に対して過去の思い出と共に変化と成長を感じさせるエヴァ。近所の友達も玉をくれたお父さんもエンディングを何度も見に行った仲間達に対比するように補完されてく感じ。

すべてを見終わった後に満たされすぎて誰かにオススメするということでなく作品を通してのすべての通った道を見させられた感覚です。

なので今回の感想は本当の俺の感想であり誰にでも言い難いものであるストーリーなんだなと。

やはり最後の思い出を考える場としての葬式だったのかな。なので劇場には二度目はないかと。

 

とりあえずシト新生打ってくる